【旅】乳頭温泉 その3 温泉:鶴の湯2011/03/01 23:12

どうも、みなさん、たれまさです。


いよいよ、温泉です。

鶴の湯の代表といえば、混浴の露天です。


混浴といえども、入り口は男女分かれており、当然、脱衣所も別々です。

入り方も工夫がなされていて、安心して入れると思います。
(わたしは、全然気にしないんデスけど。)


まずは、脱衣所の隣に、女性のみの内湯「中の湯」があり、

中の湯

そこから、外へ出ます。

こんよくの小路

なんだか、洞窟の奥みたいになっており、

そこを、白濁の湯の中に浸かり、しゃがみながら進むと、遠くに見ゆるは!!

小路その2


じゃーん!

こんよく

かの有名な「鶴の湯・混浴露天」です!!!

昔、すごい沢山の人がこの混浴に入っているCMを見た気がするなー。

風情のある東屋に、笹に囲まれ、その上は雪景色ですよ。


あ”---。

日本に生まれて、まぢ、良かった~~~。

混浴なので、なかなか女性は入りにくかろうと思いますが、やや夕暮れに鳴ってきていた事ですし、ここの露天に入らなかったら、鶴の湯に来た意味ないでしょう!って事で、友人達も強引に誘いました。。(゜m゜*)プッ

だって、奥さん、韓国ドラマのIRISに出てた、イ・ビョンホンさんも堪能されたらしいっすよ。(笑)



日が完全に暮れてしまわぬ内に露天を満喫いたしませう。

今度は、女子露天です。

のれんをかき分け、

のれん


恒例「かぽ~ん」です。(内輪ネタ)


女子露天1

女子の露天だって、混浴に負けないくらい広いんです。

ちょっと引きで見てみて。

女子露天2


さらに引いてみましょう。

女子露天3


ぱんだが小さく見ます。

広いですよね~~。

たしか、ご一緒に入湯されていたご婦人方もいらしたのですが、見えない位置にいらしてて、撮影を快諾して下さいました。
こういうとき、ぱんだの威力はすごいと思うのです。
(撮った画像見せたりして、なごんだりします。笑)

女子露天4

別角度からのショット。手前のランプが風情を醸し出しています。



何度も、浴衣を脱いだり、着たりして、あっちの湯、こっちの湯と巡っている内に、、、


夜の帳が下りてきました。

夜の帳


さて、ここで夕食です。囲炉裏のある「本陣」と呼ばれる場所での食事です。

食事の風景は、別の記事にUPするとしましょう。



食後も、人心地つく間もなく、ふたたび、湯巡りへ~。

中の写真は取れなかったのですが、美人の湯を呼ばれる「白湯」と、子宝の湯と呼ばれる「黒湯」にも、もれなく浸かり、

白湯黒湯


ふたたび、満天の星空を眺めながらの、女子露天です。

夜の露天

しかし、写真は、かなり怖い雰囲気に、、、、。苦笑。



気を取り直して、内湯も入ってきました。

鶴の湯の、露天には、洗い場がないので(シャワーもない事が多い)、あらかじめ、内湯で体や頭を洗うほうが良いでしょうかねぇ。。。


夜も更けて来ていたこともあり、内湯はだれ~も居なく、貸切です。ぃえーい。

かぽーん撮影し放題。

内湯


注ぎ口。

湯の花

見て、この湯の花の量。

(さりげに置いただけの、桶ですが、ナゼだか丁度宿の名が。。。。(笑))

効能

そして、何故か、つい撮ってしまう、効能。


まだまだ、美味しい食事や、他の温泉や、壮大な風景、UPしたい写真が一杯です。

地震を振りかえって。(長文です)2011/03/15 01:00

どうも、みなさん、ぼすです。

被災者の皆さん、帰宅困難だった皆さん、大丈夫だったでしょうか?
東北方面の、ご家族、ご友人の安否はとれましたでしょうか?

さらなる大きな被害に飲み込まれていない事を切実に祈っております。
また、被害にあわれている方々、あわれてしまった方々に、心からお見舞いを申し上げます。

地震の晩ですが、渋滞にハマったけど車の中に居られたり、知人宅に泊めさせて頂いたりして、おそらく帰宅困難者とは言いがたいラッキーな状況でした。

ご心配してくれた皆さん、ありがとうございました。無事に家に着いたよ~。

36年間、関東で育ってきたけど、今回のようなケースは、やっぱり初めてだったと思いました。
関東でさえ、こんなに色々とあったわけだから、東北の被災者の方々の事を思うと、心が痛みます。

被災したとは言いがたいのですが、やはり初めての体験ばかりでした。

当日を、つれづれとドキュメンタリー風に、振り返ってみたいと思います。
私的な見解も多いと思うので、超!長文だし、興味の無い方はスルーしてね。

14:45 マッサージ屋にて地震
18:00 祐天寺から車で横浜方面に向かう
 0:30 友人宅着、宿泊
----
 9:00 友人宅発
11:00 中央林間着


地震があった時、わたしは、たまたま休みをとって、よりによって都内に居ました。。。。

(仕事いっとけば良かった。苦笑。チャリでふつーに帰宅出来ちゃっただろうな。。。)

マッサージの予約の後も、代官山で約束が1つあったんですが、時間的に直前で止めておきました。でも、止めておいて、かえって良かったかもしれないですね。

スリップ一枚で、マッサージベッドに寝てて、さあ、いざこれから施術!という矢先に、
なんか揺れてる??
あれ?めずらしく、長くない??ドアだけでも開けましょうか?!
とだんだん、切羽詰ってきました。
本棚にあった物などが、カタカタと音を立てていました。
コップが倒れて、飲み物がこぼれたりしてきました。
スペースU

建物が古いらしいというので、外に非難しましょう、とのことで、タオル一枚ひっかけて、あわててスカートをはいて、裸足のまま外に出ました。
ゆるやかな螺旋階段を下りるだけで、千鳥足の酔っ払いのように、足元がふら付いていたのが解りました。

よくTVで、着の身着のままで出てきました。という姿を見た事があったけど、やっぱり同じでした。
ブーツを履く暇も、余裕も、持って行く考えも、なかったです。

セラピストさんが、タオルと共に、肩を抱いていてくれたのが、嬉しかったですねぇ。
もちろん、タオルが落ちないようにという配慮や、顧客の安全優先などの気持ちなどもあったと思いますが、プライベートではお母さんである姿を垣間見た気がしました。

電信柱が、ゆらゆら揺れて、これはかなり大きいね、と話しているかたや、路線バスは地震に気づいていないようなので、普通に横を走り抜けていきました。

周りのお店のひとや、近所の人も、不安げに外に出ていました。
一方、普通に急いで駅にむかう会社員の人もいたりで、そのコントラストが、なんともいえなかったです。地震に慣れた国なんだよなーって、改めて思いましたね。

今回はこの数日を振り返ってみても、いたって通常勤務と強いられる人と、とっても地震に左右される方との対比が激しかったように感じられます。

その後は、マッサージは中止にし、片付けて撤収。駅に向かいましたが、既に電車はアウト。
その間も、余震がたびたび続き、これは長い夜になるな、、、という予感がしました。

駅の近くにある小学校では、生徒が校庭に出てきている様子が見えました。
後から聞いた話では、校門にしっかと鍵がかかっており(変質者の校内立ち入りをふせぐ為とかだと思いますが)、入れなかったらしいです。
でも。学校って、ふつう、地域の避難所になるのにねぇ。苦笑(まあ、地震直後の話だから、その後は開放されたかもしれません)

最近、同じようなゆらゆらタイプの地震がたびたびあったり、知り合いの占い師が地震を予言していたり、朝から変な頭痛がしたりで、幾つかの要因が頭をよぎり、いよいよ来たかな、と冷静に思ったりもしました。

セラピストさんのご好意で、マッサージルームの隣のお部屋の会社(セラピストさんが昔勤めていた映像会社)の方々と一緒に過ごさせていただきました。
TVもあって、情報は入るし、暖も明かりも、ネットも使えて、まだまだ余裕な気分でいたと言えましょう。

東北の皆さんに対して不謹慎かもしれないけど、まあ、焦ってもしかたないし、と談笑出来たりしてました。
それを是か非かという判断は控えますが、個人的には同じ時間をやり過ごすなら、少しのユーモアはアリだと思っています。むやみやたらに、恐怖や不安の渦に飲み込まれるよりは、今、何をすべきかを考えることが優先なんじゃないかな、と思っています。

ネットは繋がっているものの、携帯電話や携帯メールは使えませんでした。
携帯メールは送信は出来ているみたいなんですが、辿り着いてない様子でした。(よって、返信も来る訳がない。)
PCメールや、固定電話は、携帯よりつながっていましたね。
皆さんも体感したと思いますが、mixiやtwitterが大活躍でしたね~。
(とはいえ、携帯の充電がヤバくなってくると、そのツールもアウトですが。。。)

電車の復旧は、時が経つほど、今夜はムリだな、、、という気分になり、さて、どうするかな、と思い始めました。

会社の皆さんが、小杉→横浜→小平→馬込経由で車を出すということで、便乗させて頂きました。
twitterによると、相方は西荻窪まで車で移動している様子だったので、最悪、どこかで降りて迎えに来てもらおうと思っておりましたが、いやはや、なかなか連絡がとれませんでしたねぇ。。。
こういう時は、ヘタに頑張って動いてもなと思い、セラピストさんと行動を共にしておりました。

セラピストさんも、お子さんがまだ小学校に居る時間だったので、学校に居る事はわかったようです。ママ友と連絡をtwitterで取り合っていらっしゃいました。
メール連絡網みたいのがあるから、とおっしゃっていましたが、どうやら機能してなかったようですね。
昨今は小学校も個人情報保護法に過敏に反応しすぎていて、お互いの連絡先が開示されておらず、こういう災害時に、やっぱり困るなぁと感じました。

だんなさんは、会社でネットが繋がる環境にいらっしゃるので、メールは繋がったようでした。

携帯メールもなかなか通じなかったのですが、途中から「新着メール問い合わせ」をすると届くようになりました。

車の渋滞も、なかなかすごいものでした。。。。。
都内から神奈川へ行くには、どうしたって、川を越えなくちゃいけません。
橋がねぇ。。。。。。。
丸子橋から数キロのところで、2hはかかりましたね。。。
しかし、海外のメディアが伝えるように、クラクションが鳴ることはなく、みんな、状況を飲み込み、大人しく、少しづつ進んでいました。

小杉在中の方は、途中まで車を降りて歩くほうが早いか、そのまま乗り続けるが、ずいぶん迷っていたけれど、途中で降りて歩いて帰られました。
サックリと30分後位に、私たちが車で小杉に辿り着くより、もっと早く自宅に到着されていました。
やっぱり、ある程度の距離は、歩きが吉と出るみたいですね。
(まあ、そうはいったって、靴もヒールだったりすると、くじけちゃうよね。。。。方向音痴だったりとかさ。。)


周りもすでに、沢山の帰宅困難者の方々が、もくもくと歩いたり、おそらく同じ会社っぽい方々が、同じ方向の人たちで固まって歩いていたり、地図を手にしていたり、ヘルメットをかぶっていたりと色々な光景を目にしました。
普段は使われなくなって、探さないといけないくらい少なくなった公衆電話を使う人。
こんな状況なのに、果敢にお店を営業している焼き鳥屋さん。
途中で寄ったコンビニは、TVで見た風景を同じで、おにぎりコーナー、パンコーナー、携帯充電コーナー、はすっからかんでした。

祐天寺から横浜まで車で6hくらい掛かりましたが、温かい場所で座っていられて、ラジオが聞こえ、一緒に沢山の人が乗っており、ちょっと腹ごしらえも出来たりしていたので、帰宅困難者とは言えないよなぁ。。ってオモイマス。

渋滞でお腹が空くと、さらにイライラするだろうと思って、途中品薄だけどコンビニに寄って、甘い物をしょっぱい物を温かい飲み物を購入しました。
が、
前の席の男の子二人は、「しょっぱいもの(ポテトチップとか)を食べると、水を飲みたくなるし、飲むとトイレに行きたくなる」といい、食べ控えていました。

ところが、後部座席の、女子2名・ワタシとセラピストさんは、甘い物(ロールケーキ)をモリモリほうばっておりました。
「万が一のことを考えて、食べられる時に食べよう」と言って。(笑)

うむ。
こういう時って、女って、本能(食欲、睡眠とか)に正直だよなぁ、とか思ったりしちゃいました。

小杉を過ぎ、しばらくすると、なんか急に周りの様子が変わりました。
最初は気づかなかったんですけど、ファミレスとかコンビニとかが閉まっているんですよ。
「なんで、こんな時に閉めちゃうんだろうねぇ。」と言っていた時は、まだ信号機が付いていたので、停電に気づきませんでした。

川崎市から横浜市に入ったら、停電していたんですね。

電力ラインがどのように設定されているか解りませんが、やっぱり市をまたぐと変わるんですかね?

パトカーがけっこうは走っていて、こんな時に事故かなー。渋滞がより酷くなるね。とか言っていたんですけど、違いまして、信号機が停電で消えているので、手旗で警察が交通整理をしに来てくれていました。

マイミクさんの中に役所で働く方がいますが、この数日毎晩徹夜に近い状態で対応されているとのこと。
被災地で救助をする皆さんもしかりですが、あの晩の関東においての、警察の方や消防の方なども、自分達の責務を全うしてくれているなーと思いました。

周りが明るいうちは、かなり楽観的だったんですけど、停電した街中を走っていると、さすがに、事の重大さを、ひしひしと感じてきました。
(そして、携帯のバッテリーが残りが少なくなり、それもやばいな、と焦りに輪をかけた気がします)
ああ、やっぱりこれは被災しているのでは、、、、って、ちょっと思ってしまいました。

何度もいいますが、本当に被災している東北の方々に比べたら、被災なんて言えないのですが。。。

たまたまなのか、停電で暗くなったからなのか、ふと見上げた西の空に、三日月が沈んでいく様子が見えました。


日吉で、急に電車がゆる~やかに動いている様子が目に入りました。
まだ人は誰も乗っていません。
安全点検の走行なのか、復旧なのか解りませんでしたが、後々の情報から復旧だったようです。

日吉・綱島辺りからは、東京へ向かう反対車線も混んできました。
おそらく、頑張って、都内で働く家族をお迎えに行こうとする車ではないかと思います。

鶴見川を渡ると、電気が復旧していて、町に戻ってきたなーって感じました。

やはり電気のない中を走っている時は、心なしか、皆口数が少なくなってしまいました。
ということは、、、、避難所で暗闇の中過ごされる寂しさ、怖さったら比べモノになりませんね。


相方は、西荻窪から明大前辺りまで来ていたけど、混んでいるし、むりやり横浜まで迎えに行っても、どんな渋滞が待ち受けているか解らないし、ということで、ワタシは大人しく横浜方面に向かいました。
正直なところ、2,3回しかお会いしたこと無いセラピストさん宅に泊まらせて頂くのも、気が引けるなーって思ったんですけど、安全で温かい場所に居られるなら、動かないほうがいいと言うので、懸命な判断かなと思い、泊まらせて頂くことにしました。

その辺のやりとりを、少ない充電でメールに絞って行っておりましたが、いつ充電が切れるかと思うとヒヤヒヤしましたねぇ。。。


新横浜駅の側を通り抜ける時には、ゆっくりと走る新幹線が見られ、おそらく、途中で運転取りやめていた車両が少しづつ動く事が出来るようになったんでしょう。23:30過ぎくらいだったでしょうかね?

周りのガソリンスタンドも、平常営業をまだしており、トイレを借り、満タンに給油をする事が出来ました。(おそらく、土、日曜を過ぎた今となっては、在庫が尽きている店舗もあるようですね)

私たちを横浜まで送ってくれた車は、同じ道を帰り、小平へ北上しなくてはならない事になっていましたので、三ツ沢公園辺りで降ろしてくれて、Uターンしたほうが、横浜駅付近の渋滞(の情報は入ってなかったので)にハマらないのでは、ということで、私たちは三ツ沢公園で降りました。

そこから、ご自宅まで、ほんの10分程度の徒歩でした。しかし、もう12時をまわっているにも関わらず、やはり歩いている人たち、道路わきで迎えの車に、数人で乗り込む姿などを沢山みました。
やはり通常の光景とは違います。

ワタシは、とってもめずらしく、昼間が温かかったので、薄着でして、シマッタと思いました。
幸い足元は、ヒールのない温かいブーツで歩きやすいものでした。
しかし、この装備の少なさで、都内から神奈川へ帰宅していたら、、、と思うと、頑張って帰った友人など、本当に頑張ったんだなぁ、、、と、しみぢみ感じました。


同じマンションに住むお友達のお家で、セラピストさんの息子さんは預かっていただいているという事で、まずはそちらのお宅へ行きました。

両親が迎えに来ないと引き渡せないという学校の規則があるようで、親がお迎えに来れない場合は、学校の先生が順次送ったそうです。セラピストさんの息子さんは、同じマンションに友達が住んでいたので、そちらに預けてもらえる事になっていました。
なんだか、たびたび苦言を申しますが、昨今の学校はちょっと厳しすぎですね。

しかし、近所の人って、大切なんですね。預かってくれる方がいて、本当に良かったねぇと思いました。

お宅へ向かうがてら、横浜駅付近の被害を電話を話している様子が聞き取れました。
ハマボールの天井が落ちたっていうけど、「いやー、新しい建物だし、うそでしょー」って言ってたら、本当だったり、そのご友人さんの会社のビルは、屋内も屋外もひび割れ、退去しなきゃいけなくなったとか、ダイエーの側がひび割れたとか聞きました。
横浜のほうが被害が大きい?と思える感じでした。

車の中で聞いていたラジオで、エレベーターは閉じ込められるといけないので、使用しないように、と言われておりましたが、セラピストさんのマンションも、実際に止めてありました。

(9階。。。ちょっと息切れ。苦笑)

無事に、息子さんと再会~~。

本当に、気が気がじゃなかったと思います。どんなに無事を連絡が既に入っていたとしても、やはり顔を見るまではねぇ。。。

小学校4年生の息子さんは、泣いちゃう年齢でもなく、かといって、反抗期もまだだし、素直にお母さんに色々あったことをマシンガントークで話していました。
(こっそり、お母さんが居ない時に聞いたら、ちょっと怖かったって。まだ素直でかわいいね。笑)

車に乗っている時には動いていたので気づきませんでしたが、とにかく余震の多さに、ビクビクしていました。
もう、自分が揺れているのか、余震なのか解らないくらい。
そして、ほんのちょっとの揺れも、さすがの物事に動じないワタシでも、ビビりますね。

それから、携帯の充電がほぼアウトで、それが懸念材料でした。
コンビニの充電器売り場は売り切れだったし、明日の事を考えると、連絡がとれないのは、参るなーってちょっと焦っていましたが、セラピストさん宅を探して頂いたら、何故かAUの充電器が出てきまして、充電が出来るようになりました。

おおおうぅ。。。(T_T)(T_T)

わたし、携帯はあんまり使わない派なんで、普段は忘れて放置したり、充電なくなっても平気なんですけど、あの晩は、ちょっと参りましたね。

返信や書き込みを控えていた分を、返信したりしました。携帯も便利だけど、こういう時は、無駄に繋ぎ続けちゃいけませんね。。。しみぢみ。

岩手の友人の安否のメールや、阪神大震災経験者の友人からの励ましのメールなどが届いておりました。書き込みなども、本当に勇気付けられましたねぇ。

そして、まずは腹ごしらえ(またかい。笑)と、チキンラーメンをご馳走になりました。
(ほんと、セラピストさんには、何から何までお世話になりまして、感謝感謝です。)
レシピ通り、真ん中のくぼみに卵を落とし、お湯を注ぐだけ。勝手にスープが染み出るんですね。
美味しかったなぁ。。。(初めて食べました。笑)

やっぱり、保存食をちょいと備蓄するって大事ね。。。

1:00amを回っておりましたが、東横線が運転再開されたとの事で、だんなさんがようやく帰路に着けることになりました。
メールが来て「渋谷駅ついた(そして、階段にみっしりと隙間無く人がいる写真が添付されていた)」、そして、ずいぶん経ってから「出発した。」と届きました。

乗り込んで、出発まで、相当時間掛かったんだろうなぁ。。。(普段の人身事故だってすごいことになるもんね)

地震の興奮も冷めやらずの息子君は、深夜にも関わらず眠れず(しかも、知らない客人が来ているしねぇ。。)、やっぱりお父さんが帰ってくるまで寝たくないみたいで、居間で頑張っていました。ほほえましいね。

だんなさんも、ぐったり疲れて帰宅なのに、見知らぬ客が家にいて、さぞかしびっくりした事だと思いますが、快く「緊急事態ですから」と泊めて下さいました。本当に感謝です。

いつか自分もそういう事があったら、自宅は開放したいです。

家族3人が、川の字になってダブルベッドで寝てくださって、わたしは息子君のベッドを一人占領させて頂いてしまいました。

夜中、たびたび、余震を知らせる携帯電話の速報みたいのが聞こえたり、外を行き交うパトカーなどの音などが入り混じり、さすがのワタシも、ぐっすり眠れたとは言えませんでした。
少々の揺れに、即座に目が覚める、という事は熟睡はしてないということでしょう。


一夜明けて、快晴。本当に、この天気の良さには、気分がいくぶん救われました。
おにぎり

朝もまた、セラピストの方に、おにぎりを握って頂いて、ご馳走になりました。
人の握るおにぎりを食べるなんて、なんて久しぶり。。。
こういうときは、ぬくもりが沁みますねぇ。

電車は無事に動いている様子です。
もう、みんな、それぞれ、眠れなかったしヘロヘロに疲れていましたので、私も早々に退散する事にしました。

息子君が、朝からお茶碗山盛り一杯のご飯と納豆を元気に食べていて、子供の持つパワーってすごいなーと思いました。

なんだか、本当に、ご飯から寝床まで至りにつくせりで、帰宅困難者とは言えない。苦笑。

駅まで送ってくださるというので、一緒に家を出ました。
昨晩は止まっていたエレベーターが動くようになっていましたが、念のため階段で降りました。


あの朝は、本当にスッキリと晴れ渡り、昨日の地震や、混乱、また遠い北の大地での苦しみなんて、うそのような空でした。

あんな大混乱だったのに、たったの一晩で電車は、かぎりなく通常を取り戻し、宅急便のおにーさんやら、コンビニのひとやら、まったくもって、いつもどおりに働いていて、あまりの復旧の早さに、改めてびっくりすると共に、日本の底力を感じました。

しかし、やはり、昨晩の地震はうそでもなんでもなく、横浜駅に向かう間に、幾度と無く、建物のひび割れや、地面の盛り上がり、階段の欠けている部分などを目にしました。

そして、TVでも何度か写されましたが、天井の落ちたハマボール、まだ、地割れのすごかったダイエーの横を通りました。
不謹慎かなーと思ったのですが、やはり、写真を撮ってしまいました。取材も来てたな。
ダイエー


相鉄線の駅で、セラピストさんと別れ、15分遅れ位で運行している相鉄線に普通に乗り、小田急江ノ島線に乗り換え、無事に中央林間にたどりつきました。
電車の中は、昨日帰宅困難者だったっぽい方や、普通に朝乗り込んできた人と、判別が難しいくらい、通常を取り戻していました。

駅前のスーパーとパン屋に寄りましたが、通常通り開店しており、これまた、すごいと思いましたねぇ。
自分は、昨日の地震から、まだ一日が終わってない感じがしているのに、かたや、通常勤務をしている皆さん。きっと電車だって、一晩中、社員総出で対応していたに違いないよね。

日本人って、本当に、まじめで勤勉で我慢強い国民ですよ。

土曜の朝に寄った時のスーパーは、まだまだ、計画停電の話も持ち上がっていなかった事もあり、品薄ではなかったです。

あとから、だんだんと煽られて、品薄になり、買っとけば良かったかな、とチラリと思いましたが、まあ、冷凍庫にあるものを先に食べないとね。苦笑。

帰宅したら、ワタシの部屋の立てかけてあるだけの姿見の鏡が、ごろんと落ちていました。。。。(-_-;)
(おりしも、幸か不幸か、万年床の布団の上に落ち、被害を最小に食い留められました。爆)
棚から本が落ちたり、化粧品のビンが倒れたり、冷蔵庫の中身が、なんとなく全体に前に寄っていたりしていましたが、被害っていう被害ではなかったです。

後から気づいてみたら、姿見の鏡は、倒れる時にノートPCを直撃したらしく、液晶部分が閉じられておりました。そして、またキーボードの上に置いておいた、ポン・デ・リングがぺしゃんこに潰れているのを、後ほど発見し、ちょっぴし、おおお、、、、と思わされました。

そのせいかどうか解りませんが、PCのTVが壊れたらしいので、ネットでTVをみていましたが、津波の映像が、心が痛みますね。

海外のTVでもけっこう取り上げられていたので、見ていましたが、なんか、けっこう被害の一番すごいところを、うまいこと編集してあって、さも史上最大のtsunamiだぜー。という番組に仕上がっていました。あと、原発関連とかね。
をいをい、、、(-_-;)って感じなんですけど、かたや、twitterなどでは、泥棒も順番抜かしもいない、奇跡のような国だ、と絶賛される。

うむ、良いほうだけを、うけとりましょう。(笑)


しばらく岩手の友人と連絡が取れず、やきもきしましたが、日曜になってメールが届きました。
停電で苦労されている様子でしたねぇ。。。
あと、東北大学の学生が、けっこう知り合い多いので、心配したり。

また、ワタシ宛に海外の友達からも続々とメールとか、Facebookのメッセージが届いたりして、世界中で話題になっているんだなーと思いました。

そして、帰宅した土曜日は、さすがに何もする気になれず、洗濯して、だら~りと過ごしました。
日曜も予定をキャンセルする事に皆で決め、一日だら~っとしていました。
なので、外の様子のガソリンやスーパーの品薄には気づきませんでした。
TVを見ていると、どうにも、色々な情報が錯綜してしまうので、日曜日は敢えて、TVやネットから離れてみました。

日曜日は、これまたとっても晴天で、温かく、TVやネットから離れていると、春の日差しを感じ、鳥がチュンチュン鳴いてたりで、とっても平和な一日でした。

東北の地獄絵のような被災地とは、まさに、天と地の差のようです。

日曜の夜半になって、計画停電の話になり、情報確認のためにネットに繋ぎました。

なんと、まあ、日曜の夜中に、翌朝からの停電決行が決まるなんて、日本らしからぬ対応でしたね。

いかに、電子力に頼った生活をしているか、また、相当まずい状況なんだな、と感じました。

結局電車が止まってくれたりしたお陰か?この付近での家庭の停電はありませんでした。
良かったような、、、情報に振りまわされた困ったような。。。

でも、これ、海外だったら、たぶん、本当に6:30amに停電とかしているだろうなー。
有無を言わさずに。
情報収集をしないほうが悪いくらいの勢いで。
でも、知らなかったほうも、負けじと「今日は出勤なんて出来るわけ無いだろ!」と逆ギレとか平気でしちゃうと思うけどね。(笑)

しかし。

停電ひとつをとっても、今回の被災で、色々と感じたり、学んだり、反省したりすることが沢山ありました。

国の対応だの、停電の話だの、原発の話だの、賛否両論色々あると思うのですが、自分は粛々といつも通りの生活を続けていきたいなと思います。

いやー。まぢ、超!長文になりましたが、最後までお付き合いしてくれた方もいるんでしょうか?
もしそうでしたら、ありがとうございました。(^o^)丿